私の愛したインターネット

あの頃、インターネットの住人たちは皆それぞれに自分の家(ウェブサイト)を持っていた。家は手作りで、思い思いのコンテンツ(イラスト、小説、詩、音楽、日記、等々)が飾られていた。掲示板やチャットルームに感想を書き残すと、返事がもらえたり、こちらの家にも遊びに来てもらえたりする。ペット(リヴリーなど)を飼っている人もいた。

多くの人が利用する掲示板は街のようだった。話題別に立てられたスレッドに毎夜人が集まり、言葉を交わす。その場限りの人もいれば、家に通い合う仲になることもあった。お絵描き掲示板(お絵描きBBS、略してオエビと呼ばれていた)にイラストを描き合ったり、お絵描きチャットで遊んだり、リレー小説を書いたり、片方が作った音楽にもう片方が歌詞を付けたりした。

その頃の私は中学生〜高校生。もう15年ほど前の話だ。Windowsは確かXPとか、そんな時代。

 

当時の手がかりがふと欲しくなり、使っていたハンドルネーム(ネット上での活動用に自分で自分に付けた名前)で検索してみたところ、数件ヒットした。当時参加していたコミュニティの掲示板への書き込みがいくつか残っていた。

中学生、あるいは高校生だった私が残したはずの書き込み。

一読して感じたのは懐かしさよりも驚きだった。本当に過去の自分が書いたものだろうか。投稿者名、書き込みの内容、他に書き込みしている人たちの名前と内容。あらゆる情報をもういちど確認した。すべてに心当たりがあった。確かにそれは過去の私の書き込みだ。私は目を疑った。

あまりにも文体が軽やかだった。今の私とはかけ離れて感じられるほどに。跳ねるように弾むように軽やかな文体で、端的に用件が綴られていた。

今の私には、誰かに向けた文章をこんなに軽やかに綴ることはできない。どうしても何らかの迷いや不安、時には衒いが、書く文に影を落としてしまう(その影が見えるのは自分だけかもしれないが)。誤魔化そうとして文末に付ける明るい絵文字は、書き損じの上からシールを貼るようなもので、その下には明るくなりきれないぐしゃぐしゃの気持ちが隠れている。

当時の私が書き残した文章には、そうした一切の翳りが無かった。10代で若かったから、こんなに明るく振る舞えたのだろうか。それもある。あの頃は怖いもの知らずだった。けれど多分、私が失くしたのは若さだけではない。

 

あの頃のインターネットには、顔出ししている人なんていなかった。みんなハンドルネームを使っていて、最低限のプロフィールしか明かさずに交流していた。それが普通だった。顔や本名や年齢など、私が望まずに身に付けている全てを明かさずにいられた。そのことが間違いなく私の心を軽くしていた。

自己肯定感という言葉がある。あの頃の私は自己肯定感に満ちていた。インターネットで外見や話し方や生い立ちから自由になった私は、堂々と自分のなりたい自分になることができた。自分のしたい振る舞いと、当時のネット社会に適した振る舞いが一致していた。

顔の見えないコミュニケーションは怖いと言う人もいるが、私はあの頃のインターネットが好きだった。心から。

器(うつわ)から抜け出て自由になった魂たちが交流する世界。いままで生きてきた中で、あそこがいちばん天国に近い場所だったかもしれない。