自分を上手く乗りこなせていないと感じている話

2週間ほど前にこんな記事を書いた。


わたしは頭の中に「こんなノリでしゃべろうスイッチ」があって、それを押すのに苦労している、というようなことを書いた。

今日またこのことについて考えてみたのだけれど、わたしの中にあるものはスイッチというよりギアに近いかもしれない。マウンテンバイクとかマニュアル車とかについている、ギア。

マニュアル車のそれがイメージに近い。状況に応じて適切にタイミングよく切り替えないと変な音がしたりエンストしたりする、あのギア。教習中にさんざんわたしを悩ませた、あのギアである。

あれがわたしの中にある気がする。「どんなノリで話すのか」のギア。状況に応じてうまく切り替えてやらないといけない、手間のかかるもの。

と、なぜこんなことを考えたかというと、今日わたしはどうやらギアチェンジに失敗したようなのだ。

人前で話さなければならない機会があった。どんなノリで話すべきか決めかねたまま、わたしは勢いに任せてぐいっとレバーを動かした。

失敗だった。そのギアで話す準備が全くできていなかった。ごりごりごり、と、わたしのなかの何かが削れるひどい音が聞こえた気がした。

ギアチェンジというものは面倒である。その面倒を割愛した、オートマ車という便利なものがある。アクセルを踏めば自動でギアが切り替わる。自動。素晴らしい。それでも世の中からマニュアル車はなくならない。手動でギアを切り替える運転を好む人がいるのだ*1

オートマ車のように、状況に応じて自動的に適切なギアに切り替わって適切なノリで話をすることができたら、どんなに楽なことだろう。けれどもわたしのギアは手動のようなので、仕方ない。この操作を楽しめる日がいつか来たらいいと考えながら、失敗を繰り返す日々である。

*1:他にもマニュアル車がなくならない理由はあるのかもしれないけれど、わたしは知らない。