自由自在

 きっかけが何だったのかは、もう思い出せない。物心ついたときには、算数が好きだった。4〜5歳のころ、私のお気に入りのひとり遊びといえば、計算ドリルを解くことだった。問題があって、答えがあって、正解するとうれしかった。

 小学校にあがってしばらく経ったころ、母といっしょに書店に行く機会があった。私は『自由自在』という名前の、ぶあつい算数の参考書を母にねだり、買ってもらった。あとで倹約家の父に見つかり、「そんな高価な本を買うな!」と怒られたが、勉強の本なのだからいいではないかと、母が言い返してくれた。

 

 あのときの『自由自在』のおかげで、今の私があると言ってもいい。

 内容が直接的に役に立ったのは、小学校卒業までの、長い人生のなかで見ればほんの短い期間だけだった。中学で方程式を習ったときは、『自由自在』でさんざん慣れ親しんだ逆算との考えかたのちがいに、むしろ戸惑った。

 『自由自在』が教えてくれた、今の私にとっても大切なもの。それは、独学の楽しさだ。

 

 幼稚園生のころ好きだった計算ドリルには、計算問題が羅列してあるだけだった。未知の法則(たとえば、くり上がりのある足し算)に出くわしたときは、母に教えてもらわなければ、先に進むことが出来なかった。

 負けず嫌いだった幼少期の私にとって、それは屈辱だった。自分が母より劣っていることを認め、教えを請わなければならない。悔しかった。はやく母を超えたくて仕方がなかった。

 『自由自在』を手に入れてからは、それをしなくてよくなった。問題を解くために必要なことは、全部本のなかに書いてある。わからないと思ったら、数ページ戻って読みなおせばいい。しかも、学年ごとに配られる教科書とちがって、算数のことならたいてい何でも書いてあるのだから、便利なことこの上ない。

 大人に教えてもらわなくても、自分ひとりの力で、本に書いてある範囲のところまでは歩いていける。視界が大きく開けたような、爽快な気分だった。

 

 それから私は、参考書というものが大好きになった。とくに『自由自在』のような、ある分野のことが体系立ててまとめられた辞書のようなぶあつさの書物を見ると、心がときめく。私にとってそうした書物は、未知の世界を歩いていくための、たよりになるガイドブックだ。

 ぶあつい専門書を読み切ることは、大人になればなるほど、むずかしくなってきた。仕事に直接かかわりのない分野のものであれば、なおさらである。買うだけ買って、本棚にならべたまま何年も経ったものも、めずらしくない。

 それでも、そうした本がそこにあることがうれしい。「次の冒険」にいつでも出かけられる準備ができているということだから。

 

 予定のない休日。今日こそ新たな冒険に出るべき日ではないかと、本棚を見る。そこには、ぶあつい本の背表紙が並び、こちらはいつでも準備万端ですよというふうに、しゃんと背筋を伸ばしている。今か今かと、読まれるのを待っている。

 

 

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