パピヨン

 フランス語には蝶と蛾の区別がなく、どちらもパピヨン(papillon)というらしい。もし区別が必要なときには、蝶のことを昼のパピヨン、蛾のことを夜のパピヨンと表現するようだ。

 日本語だと、なんとなく蝶は華々しいイメージを、対して蛾は禍々しいイメージをもっている気がする。「ガ」という音からして、なんだか耳がざらつく。フランス語はどちらも同じ可愛いひびきで、なんだかいいなあと思う。

 

 人の認知と言語とは、相互作用する関係にあるようだ。認知、つまり物事の捉えかたが言語(語彙や文の組み立て)に影響することもあれば、その逆に、言語が物事の捉えかたに影響することもある。

 そして、物事の捉えかたは、人の心理状態にも影響をおよぼすらしい。心理学には詳しくないが、「リフレーミング(Reframing)」という、物事の捉えかたを変えることで心に働きかける手法について、耳にしたことがある。

 言語が認知に作用し、認知が心理に作用する。目の前で起こっていることは同じでも、それを表現する言葉が変われば、感じかたが変わりうるということだ。

 

 これには、いい面と悪い面とがある。いい面は、人はどんなに悪い状況にあっても、それを表現する言葉や捉えかたを変えることによって、前向きでいられるということ。そして悪い面は、言葉を巧みに操る人たちによって、私たちがいだく印象を操作されてしまう恐れがあることだと思う。

 

 ひとつの物事を表現するのにも、さまざまな言葉を当てはめられる。どの言葉を、どのような順番で、どのように繋いでいくかによって、言葉を発する自分自身も影響を受けるだけでなく、言葉を受けとった人たちにも、何らかの形で作用する。

 言葉が人を救うこともあれば、言葉が人を殺すこともある。言葉をあつかう者のひとりとして、まずはそのことに自覚的でありたい。

 そして、他人の言葉に騙されないようにしたい。これはなにも、「他人の言うことを信じない」というのではない。その人の言葉は、その人の見方でもって組み立てられたものだ。立ち位置を一歩ずらせば、光の当てかたをすこし変えれば、また違ったものが見えてくることもある。そのことを忘れずに、さまざまな立場の人の言葉に耳を傾けるようにしたい。できるときには、実際どうなのかを自分の目で確かめることも大事だろう。そのうえで、最後には自分自身の言葉で、その物事をとらえなおしたいと思う。

 

 言葉の使いかたが巧みな人は、自分の見方を色濃く印象づけるためにあえてセンセーショナルな言葉を使ったり、反対に、ほんとうは加害の意図があるのにその意図を隠しつつ相手を傷つけるために、優しい印象の言葉を使ったりする。言葉には力がある。だからこそ、ときには警戒が必要だ。

 さまざまな言葉が飛び交うSNSを見ていて、そんなふうに思った。

 

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