スウェットとニット帽

3ヶ月ほどロンドンに住んでいたことがある。そのとき通っていた学校で、1人のチェコ人と仲良くなった。

1クラス6〜8人ほどの小さな専門学校で、彼女や私を含め生徒のほとんどが留学生。私が選択したどの授業でも私以外に2〜3人の日本人がいたけれど、私は全くと言って良いほどそのうちの誰とも馴染めず、1人でいたところに声をかけてきたのが彼女だった。

私のような陰気な日本人をなぜ話し相手に選んだのかと初めは怪訝に思ったが、話しているうちに何だか馬が合うかもしれないと感じるようになった。いや、馬が合うと言うより、話し相手として丁度よかったと言うほうが正確かもしれない。英語は流暢だが速すぎず聞き取りやすいし、静かすぎず喋りすぎない。英語を聞くのも話すのもある程度の気力を消費する私にとって、ちょうどよいレベルの英語をちょうどよい分量話してくれる、ありがたい相手だった。

気づけば授業のたびに隣にすわり、校外学習の際もいっしょに行動する仲になっていた。

とは言っても、放課後に連れ立って遊びに行くようなことはなく、彼女との思い出はそれほど多くない。帰国まぎわに一度だけ彼女のアルバイト先のカフェを訪ねたことがあるが、授業外で会ったのはそれが最初で最後だったのではと思う。それでも、もともと人との交流を多く持たない私にとっては、かなり親しくしていた相手だと言える。

その思い出ももう5年ほど前の話で、彼女とはSNSのIDを交換したきり、いちどもやりとりがない。なのに、今でもふと、彼女の存在が記憶のなかから浮かんでくる瞬間がある。

スウェットとニット帽。それは彼女の嫌いなものと好きなものだった。あるとき校外学習からの帰り道に、彼女は私に耳うちした。

「ほら見てあの人。スウェット着て外歩いてる。私、スウェットって苦手。パジャマにしか見えない。そう思わない?」

またあるとき、ニット帽をかぶって教室に入った私をみて、彼女は叫んだ。

「あなた今日はビーニーかぶってるのね!  可愛い!」

ニット帽のことを英語でビーニー(beanie)と言うのだと、私はそのときに学んだ。

後になって聞いたが、彼女がはじめに私に興味を持ったのは、私の服装のためだったらしい。

襟付きブラウスに膝上丈のスカートもしくはショートパンツというのが当時の私の普段着だった。日本では同年代の女子(特にアニメ・漫画オタク界隈)がよくしていた服装で珍しくも何ともないが、彼女の目には新鮮に、かつ、自身の好みに沿ったスタイルとして映ったらしい。

確かに当時の私の服装レパートリーには彼女の嫌いなスウェットはなかった。私のいでたちを見て、好みが似ていて気が合うかもと彼女が直感したのは合点がいく。他方の私も、すらりとした体型にシャープな形の服を着こなす彼女のスタイルには好感を持っていた。

それから年月が経ち、私の服装の好みは変わった。古着屋で買ったスウェットと膝下丈のスカートをよく着るようになった。

そんな今の私を彼女が見たら何と言うだろう。パジャマみたいだと言って眉をひそめ、私の好みが変わってしまったことに落胆するだろうか。彼女のほうはどうだろう。今でも好みは変わらず、ビーニーが好きだろうか。

スウェットを着るたびに、脳裏に懐かしい風が吹き、彼女の記憶がよみがえる。もう少し寒くなったら、ニット帽をかぶって出かけるのも悪くない。