読書メモ:いしいしんじ『ぶらんこ乗り』前編| 私が読む本の中の「私」が読むノート

いちばんたくさん本を読んでいた頃は、電子書籍が出てきたばかりで、私もまだ紙の本を読んでいた。図書館で借りたり、買ったりして、読む。家に置いておける本の量に限りがあったのと、お小遣いにも限りがあったので、買った本もほとんどは売ってしまって、いまはもう手元にない。

 

何冊かだけ残しておいた本がある。めったに読み返したりしないのに、何度手にとってもこれは手放せないと感じ、幾多の断捨離を生き残ってきた本たち。

 

そのうちの1冊が、いしいしんじ著『ぶらんこ乗り』だ。

ぶらんこ乗り (新潮文庫)

ぶらんこ乗り (新潮文庫)

 

 

読んだのはもう十数年も前で内容の記憶はおぼろげだが、この表紙をみると胸の奥がきゅっとなる。

この「おはなし」を読んだときに私の心に何かが結晶化してずっと残り続けており、表紙をみるとその結晶がじんわりと熱をおびて存在を主張してくるような、そんな感覚だ。

 

それでも読み返すことはなかった。気持ちが大きく動くと分かっているものに、あらためて飛び込むのは勇気がいる。

 

2日前の夜、ふと「あの本を読みたい」と思い、昨日収納ケースから出してきて、どきどきしながら表紙を開いた。

たった3ページで、本を閉じた。そこまで読んだだけでもう、気持ちがあふれそうになった。なみなみと注がれた感情をある程度消化して先を読み進めるために、いまこの文章を書いている。

 

なのでこの読書メモには冒頭3ページのことしか書かない。書けない。

 

この物語は主人公「私」の語り口調で綴られている。「私」の脳内での語りが直接読み手の脳内に響くような文体だ。「私」の記憶や感情が、読み手の頭の中にぽんぽん放り込まれていく。

「私」は、祖母がみつけてきた弟の古いノートを手に取って、読み出す。ちょうど私がこの本を手にとって読み出したみたいに。

 

「私」は弟がノートを書いていたことを知ってる。小さかった弟の記憶の懐かしさと、こんなこと書いてたんだという驚きが織りまざる。

「私」はこのノートを書きはじめた二年後に弟がどうなってしまうのか、もちろん知っている。この本をずっと昔に読んだことのある私も同じだ。でも忘れているところもたくさんある。

 

「私」も私も、古い記憶を補間するように弟のノートを読みすすめることになる。このあとどんなことが起こって、どんな気持ちになるのか、その予感を抱えながら。

 

ノートを読みながら「私」が思い出や感想を語るみたいに、私も感じたことをメモしながら読もうと思う。少しずつ大切に読みすすめたい。

 

↓後編

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