あたらしい朝がきた(退職後1日目の日記)

新卒で入って5年勤めた会社を昨日、退職した。正確にはまだ有休消化中だが、今日は退職後1日目のあたらしい朝だ。

私は整理整頓が苦手だ。捨てるのが苦手なのだと思う。思い切らないとものを捨てられない。昨日は入社してから5年間でためこんだあれこれを、やっと捨てることができた。空っぽになったデスクをみて、私の心もすこし軽くなった。

 

思えば、これまで生きてきて、1つのコミュニティに長くても6年しかとどまったことがない。小学校6年、中高一貫校で6年、大学は卒業がだぶついて5年半。大学院への進学は気がすすまなかった。そしていわゆる社会人になり、5年で会社を辞めた。入社したとき、何十年も同じところにいられるだろうかと漠然と感じていた不安が、現実になった。

退職理由はいろいろあるが、5年勤めるなかで身についた仕事や評価などもろもろの「私に付随するもの」を脱ぎ捨てたくなったというのも理由の1つだ。着ているものがずっしり重く感じられ、耐えられなくなってしまった。このままでは息ができないと感じる日もあった。

 

私は私を好きではない。すくなくとも今の私を好きではない。今の自分に比べたら何年か先はもっとましな自分になれるはずだと思っている。同じところに長くいると、皮膚のうえに「過去の自分がつくりあげた空気」をまとうことになる。それが嫌で、脱いでしまいたくなるのかもしれない。いわば、次の自分になるための脱皮。

私はまだ完全な私でないと感じる。だから脱皮が必要なのか。同じ会社で長年勤続している人たちは、話していて違う生き物みたいに思えた。定期的に脱皮が必要な私と違って、そのままのカラダで生きていける生態なのだろう。

 

私は次も5年後くらいに脱皮したくなるかもしれない。社会人になると「卒業」がないので、自分でタイミングを決めて周囲に説明するのは骨が折れた。でも一度やってしまえば、次からはきっと楽になる。

情が薄いのか、5年すごした環境を去ることへの寂しさはさほど大きくない。それよりも、5年ごとに環境を変えるとしたら、生きている中であと何回変えられるだろう、私はあと何回変われるだろうと考えて、人生のみじかさに、寂しくなったりする。