アイドルオタクのオタク論【3】いつかは卒業するけれど

 

※今回は自分のことばかり書いています。

 

 アイドルオタクをしていて非オタから受ける質問のひとつに、「(推しが)卒業したらどうするの?」がある。

 正直、どんな答えを期待されているのか分からない。「三日三晩寝込む」とか「一週間仕事を休む」とかだろうか。
 そんなの、そのときになってみないと分からない。悲しいのか、寂しいのか、その両方か。それとも虚しいのか。
 それに、どうするも何も、オタクにできることはない。ただ事実を受けとめるのみ。どんなに時間がかかろうが、いつかは推しのいない日々と向き合わねばならない。

 

 私はアイドルオタク歴は浅いが、オタク歴はそこそこある(と思う)。そのなかで、とある推しの喪失を経験している。しかも、推しが望まないかたちで活動の幕が閉じた。

 あのときの息がとまるような感覚は忘れられない。推しのことを笑って話せるようになるまで、どれくらいの歳月を要しただろう。

 

 だが、その経験があるからこそいえるのは、推しを失うことがあっても、推していた時間は消えないということだ。

 当然、グッズは残る。写真も、思い出も残る。SNS時代なので、オタク間の交友関係も残すことができる。オタ活のなかで覚えたあの振り付けも、私は今でも踊れる。

 楽しかったあの日々は、なかったことにはならない。私が覚えているかぎり。

 そして、後悔しないためには、できるかぎり全力で推すことだ。推したぶんだけ、ちゃんとリターンがある。それは、充実したかけがえのない日々の思い出だ。

 

 思うに、アイドルを推すことはペットを飼うことに似ている。

 アイドルはいつか活動を終え、舞台から去ってしまう。ペットはいつか死んでしまう。期限つきで注ぐ愛。

 そのときが来れば、きっと死ぬほど悲しいし寂しい。それでも、出逢わなければよかった、愛さなければよかったとは、けっして思わない。

 できれば長く続いてほしいとは思う。けれど永遠ではないことは、はじめからわかっている。そのときの痛みを覚悟で推している。そのときが来たときに、もっとちゃんと推しておけばよかったと後悔したくないから、推しているともいえる。

 

 推しはいつかアイドルを卒業する。オタクもいつか、オタクを卒業するのだろうか。

 推しとともに卒業するひともいるだろう。結婚などがきっかけでオタクを卒業するという話もきく。

 だが、私は自分がオタクでなくなる日が来るとは思えない。オタク以外の生き方をしらないのだ。

 小学生のころからオタクだった。オタクでなかった頃のことは、もうあまり覚えていない。きっと私にとってオタクというものは骨の髄まで染みついていて、もし力づくで引き剥がそうとすれば、血肉が半分くらい失われる。そして抜け殻のように生きていくことになる。

 なので私は、いつか推しが卒業しても、きっと新しい推しを見つけてオタクをしていると思う。

 

 けれどおそらく、その新しい推しはアイドルではない。

 推しの卒業後にほかのアイドルさんを見ても、きっと推しの不在ばかりを透かし見てしまうだろうから、というのがひとつ。

 もうひとつには、私にとっての推しは「この世界でいちばん」だと思っている存在だからだ。いちばんは、ひとりだけだと思う。もしほかに推しが見つかるとすれば、私の場合、別の世界になるはずだ。

 二次元キャラかもしれないし、VTuber かもしれない。推し馬ができて競馬にはまるかもしれない。まだ知らない世界のだれかや何かを好きになるかもしれない。

 いつもそうやって、推しに世界を広げてもらいながら生きてきた。

 

 なお、もしいまの推しがアイドル卒業後に別の活動をするようになり、推すことが許されるのであれば推し続けたいと考えている。そうやって、いまの推しが世界を広げてくれるのも大歓迎だ。

 いつか活動をやめる日がきても、推しが見せてくれた世界は残るのだ。そう思って、私は推している。