アイドルオタクのオタク論【2】アイドルオタクの嫉妬心

 アイドルオタクをしていると、他のオタクに嫉妬心をいだくことがある。

 他のオタクへのレスを目撃した、特典会で自分のときよりも対応がいい気がする、などがきっかけである。

 嫉妬心とは厄介なもので、いちど火がつくと消し去るのがむずかしい。めらめらと燃え広がって怒りに転じたり、自分に瑕疵があるのではと、自己嫌悪におちいったりする。

 楽しいはずのオタ活が楽しめなくなってしまう。それも、自分の感情のせいで。こんなに悲しいことがあるだろうか。

 

 だが、嫉妬はオタクのすぐそばにある。嫉妬は愛から生まれるからだ。推しを愛しているからこそ、他の誰かに嫉妬してしまう。

 アイドルオタクを長く楽しく続けるには、みずからの嫉妬心と上手く付きあっていく必要がある。

 

 そもそも、嫉妬という感情は何のためにあるのだろう。

 勝手な持論だが、自分の「欲」に気づくためではないかと思う。

 人は、自分の欲に気づかないことがある。あるいは、気づかないふりをすることがある。自分はこれが欲しい、と素直に認めることが、様々な理由でむずかしかったりする。欲しいという気持ちを自分で隠してしまう。

 嫉妬心は、そうした欲をあらわにする。自分もあんなレスが欲しい、あんな対応をされてみたいと、己の気持ちが明確になる。

 欲は、あらゆる活動の原動力だ。オタクがオタクを続けるためにも、必要不可欠である。自分の欲をありありと認識させてくれる嫉妬心は、悪いだけのものとも言い切れない。

 

 問題は、嫉妬心をどう扱うか、である。そこには、オタクによって様々な工夫があるように思う。

 嫉妬心をどう扱うかがオタクとしての姿勢を決める、と言っても過言ではないかもしれない。

 

 たとえば、「推し被り敵視」という言葉がある。嫉妬の対象となりうる推し被りを「敵視します」と、あらかじめ表明しておく。こうしておけば嫉妬をいだく機会を減らすことができるし、いざ嫉妬心に火がついたときには、堂々とその相手を敵視すればよい。自分の感情にもっとも素直な姿勢だ。

 仲のよいオタクと推されエピソードのマウントを取り合う、いわばプロレスのような形で嫉妬心を発散させているタイプも見受けられる。多少の打たれ強さが必要だが、健全な発散方法であるように思う。

 妄想で嫉妬心をまぎらわす手もある。現実はかならずしも思い通りにならないが、妄想は自由だ。いわゆる「後方彼氏面」というのは、この「妄想型」の一種だと思う。彼氏気分に浸ることで、嫉妬を回避できる。

 

 推しへの信仰心を深めることにより、嫉妬をものともしない強靭な精神を築くことができるかもしれない。

 森博嗣の小説『四季 秋』(四季シリーズの三作目)に、太陽と扇風機のたとえ話が出てくる。森博嗣作品のなかでも私が特に好きな登場人物、紅子のセリフということもあり、深く印象に残っている一節だ。

 あなたが好きになった人は、扇風機か、それとも太陽か? と、紅子は問う。

 曰く、扇風機ならば風は前にしか来ないが、太陽の光は全方位に届く。メキシコが晴れているからといって、日本が損をするわけではない。

 つまり(ここからは私の解釈だが)、あなたの推しが太陽ならば、他の誰かにレスをしたからといって、自分が受け取るものが減るわけではない。もし推しが扇風機ならば、こちらに首を振ってもらわなければ、風は届かないけれど……。

 私の推しは太陽だ、と私は思う。

 

 あるいは、「恩返し理論」で推していれば、嫉妬とは無縁でいられるかもしれない。「恩返し理論」という名は、いま私が適当に付けた。推しからはすでにたくさんのしあわせをもらったので、もうこれ以上は求めない。これまでにもらってきた恩を、これからはできるだけ返していこう。という考えにもとづき、推すことである。

 とはいえ、推しているかぎりは追加でしあわせをもらえる。推しからもらったしあわせ(もしくは、思い出と言い換えてもよい)の貯金は、増えていく一方である。この貯金が増えれば増えるほど、余程のことでもなければ嫉妬心が燃え上がることはなくなるだろう。

 同じ推しを長期で推すなら、このスタンスはかなり効果がありそうに思える。

 

世界に一つだけの花理論」というのも考えられそうだ。これもいま私が適当に名付けた。ナンバーワンにならなくてもいい、どのオタクも特別なオンリーワン……という姿勢である。

 どのオタクも特別だと考えるのに抵抗があるなら、こう考えてもいい。どのオタクから見えるどの瞬間、どの角度の推しも特別だ、と。

 推しからのレスは特別かもしれないが、レスがなくたって推しは特別だ。どんなときだって推しはオンリーワンでありナンバーワンなのだ。

 

 と、ここまで、アイドルオタクがみずからの嫉妬心にどう対処しているのか、どう対処できそうかを考えてみた。

 嫉妬心を剥き出しにする姿勢から、レスが来なくても推しは最高……と考えてぶれない精神を保つ哲学的な(?)姿勢まで、さまざまな推し方がある。

 

 思えば、嫉妬を感じられることは贅沢でもある。愛する推しがこの世界に実存するからこそ、嫉妬をいだく機会があるのだ。

 推しが二次元だった中学生の頃は、嫉妬心とは無縁だった。そのかわり、妄想のなかでしか推しに会えなかった……。

 どちらが良いというわけでもないが、アイドルオタクにはアイドルオタクにしか味わえないしあわせがある。嫉妬心なんて乗り越えて、推していこうではないか。

 

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 【1】を書いてから約半年も経ってしまった。筆不精すぎる……。

 続きを書く気はあるので、【3】はまた、そのうち。